調和というものは、いかなる障害物も存在しないところにのみ宿るのである。
“Harmony only dwells where obstructions do not exist.”
— Philosophy of Osteopathy
流れが阻害されることにより身体の調和が乱され病が生じる。
全てがスムーズに流れる中に調和があり、健康がある。
これは洋の東西を問わない健康の根本的な考え方ですね。
何が流れていることなのかはそれぞれの医学により異なりますが。
オステオパシーで調和を乱すのは”体液”循環の障害物です。
体液の流れが妨げられることで栄養や活動命令が行き渡らず、その場所の働きが適切なものではなくなってしまう。
それによって病が生じ、治癒が妨げられる。
私がオステオパシーを好きな理由の一つが、流れているものも障害するものも「物質的なもの」だというところにあります。
操作対象が治療者にはもちろん、患者さんにも、はたまた専門家ではない他者にもハッキリと感知できるものであること。
これが自身の仕事に対する確信の根拠をオステオパスに与えてくれていると私は思います。
治療者も調子の良い時ばかりでは有りません。
五感で捉えられないような特殊知覚があるとしても、特殊であるがゆえ調子の悪いときには感知精度が落ちるでしょう。
そんな中でも常に安定した検査精度を保つためにも、誰にでも備わる当たり前な感覚に基づいた知覚範囲内で十分であることは重要であると考えます。
もちろん特殊知覚が意識せずとも働いている日常使いレベルで、五感情報に常に割り込んいるほどの人がいたら、その限りではないのですが。
ただ私は残念ながらそんな日常使いの第六感的な特殊感覚を持っていないので、それに頼った検査は正直不安です。
そういったものはあくまで補足情報程度に捉えておくのが良いと私は考えます。
加えて、明らかに感知できるものが治療対象であることは、患者さんにも異常箇所を自覚してもらいやすいわけです。
また、治ってきていること/治っていないこと、を患者さん自身もチェックできる。
それは症状だけで病状を見ているだけよりも多角的に自身の身体を見直してもらうきっかけになってくれます。
インフォームドコンセント的にも優れていると思います。
もっともそのことは患者さんが試験官になるような面があるので、治療者にとってなかなかのストレスにもなりますが、そのプレッシャーが治療者の腕を高めてくれます。
あと、障害物となっている物質的状態が明らかに小さく改善したら治療を終えて良い。
これにより「治療をいつ終えたら良いのか」を根拠を持って決め、さらに今行った治療で患者さんの状態が改善することを自信を持って伝えられます。
その他にもまだまだあると思いますが、治療で変えようとする対象が機能的なものや五感で捉えられないものではなく、あたりまえに感じられる物質的なものにまで落とし込まれていることのメリットを日々感じています。


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